おりくの覚書

2008年6月双子の母になった育児記録。

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母親に捨てられ、リーアム神父(リーアム・ニーソン)に預けられたパトリック(キリアン・マーフィ)は、神父の紹介で養子に出されるが、男性に生まれながら女性の心を持つパトリックは、完全に浮いた存在だった。学校で問題ばかり起こすパトリックを義母は疎み、それに嫌気がさしたパトリックは、家を出て行ってしまう。そして、ロンドンに住むというまだ見ぬ母親を捜す旅に出るのだった。

パトリック自身が、自分の人生を物語のように考えているのがそのまま感じられるような、すごく詩的な感じがする作品。
”どうせ人生なんて単なる物語に過ぎないんだから。”と、自分を粗末にするような、ふわふわと生きているようにみえて、それに反比例するかのように激しく自分の居場所を求めて、愛を渇望して生きている。
表面上で見ると、パトリックがどんなどん底に陥っても多少の希望を持って健気に、雑草のように生きているように感じるけれど、奥底まで感じてみると、実は非常に儚くて繊細な花なんだなあ~、と。
そのアンバランスさが、何というか、私にはしんどかったです。途中パトリックがIRAの爆弾犯と間違えられて警察に逮捕され、拘留されるシーンがあって、そこで刑事たちはパトリックに尋問するのに疲れてしまうのですが、そういう感じ。そのパトリックの心の裏に隠された狂気(狂ってしまうほどに自分の居場所を求める気持ち)に、疲れてしまうんですね、きっと。疲れてしまう、でもその儚さが美しくて手を差しのべたくなってしまう。それは決して同情とか哀れむ気持ちとかじゃなくて、人間の持つ心の底から湧き出る優しさなのでしょうなあ~。
そういう人間の優しさを知っているパトリックだからこそ、人から虐げられても、捨てられても、それを求めてしまう。そして、それと同じだけのモノを与えたいって思うんだろう。

前半は、儚いパトリックの姿に目が離せないながらも、”ふう。”という感じがする。パトリックが恋する歌手もそうだし、パトリック自身も噛み合っているようでちょっとずれが生じている自己的な愛って感じがする。
それにそれも含めて前半のいくつかのエピソードは、話が中途半端(パトリック目線だから仕方ないけど)で、人物の感情を掴みにくかった。特にマジシャン、あれはパトリックのことを本当に愛していたのか?ただの道具に過ぎなかったのか?それがいまだ謎です。まあ、パトリックの本当の居場所は、マジシャンの所ではなかったのでしょう。
後半、拘留されたあたりからは安定感があった。パトリックも心が落ち着いてきた感があったし。

それにしても、どんな愛が人に居場所を与えるんでしょうね。パトリックだって、愛し合いされた人はいたはずなのに、もし彼らと別れることなく関係が続いていたら、母と会うことも”どうでもイイ”ことになってしまうのでしょうか?それとも母と会うことができなければ、永遠に続く愛に出会うことができないのでしょうか?
結局、自分が無償で与えることができる愛がある場所が自分がいるべき場所なんでしょうか?
そんな場所が見つけることができたパトリックは、遠回りをしてしまったけれど、見つけられたっていうことが幸せですよね。

オススメ度…★★★☆☆
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ちょっと部屋の模様替えをしてます。
今までパソコンをやる時には、床に直に座って(正座とかあぐらとか)いたのですが、普段の運動不足がたたって、正座をずっと続けていると足がしびれてしまうし、あぐらとかは腰痛がひどくなるし、
ということで、イスに座ってパソコンをやれるようにしました。
パソコンデスクは、高さ調整可能なヤツなのでOKなのですが、イスがない。
”あとで買うことにして、とりあえずそれまでの代用として。”
と置いたのが、単なる部屋のオブジェと化していたバランスボール。
コレがなかなか調子イイです。
調べ物をしたりしっかりと文章を読みたい時なんかは、安定しないので落ち着かないのですが、その時は、足下にある棚に足を引っかけて体を安定させて回避。
ながら見でインターネットするときなんかは、ボヨンボヨンと体を浮かせて体だけはウキウキ状態な感じで。やっているうちに逆にバランスボールの方に気がいってしまったりしてしまいます。

しかし運動不足は普段から十分すぎるほど承知しているのですが、これほどまでとは…と思うほど、
足がプルプルしてしまいます。踏ん張れなくて、ズルズルと前に行ってしまいますしね。
腰をグルグルと回していたら、回すたびに腰がコキコキ、股関節がコキコキ。思わず苦笑。
1,2.3.4…と腰を前後左右に動かしていても、腰の動きが固く、1,2,3,4,5…と一拍多かったり、
1,2ぃ~、3,4…と後ろに引きすぎてしまったり。
心・技・体の三位一体を極めることの難しさを実感しています。

モロッコの貧しい村に暮らすアフメッド・ユセフ兄弟にライフルが手渡された。羊を狙うジャッカルを退治するためだ。しかし試し打ちで放った銃弾が、アメリカ人観光客スーザン(ケイト・ブランシェット)に命中してしまう…。
夫婦の絆を埋めるためにモロッコへ旅行してきたスーザンとリチャード(ブラット・ピット)だったが、2人の溝は埋められないまま旅行を続けていた。銃で撃たれ瀕死のスーザンを旅行ガイドの村まで搬送したが…。
リチャードとスーザンの留守中、彼らの子供を預かるメキシコ人アメリアは、メキシコに住む息子の結婚式に出席したいために1日子供を預かってくれる人を探すのだが、結局見つからず途方に暮れたアメリアは、子供を結婚式に連れて行くことを決心する。そして甥のサンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)の車に同乗しメキシコへ向かっていった…。
母を亡くし、父ヤスジロー(役所広司)と2人で暮らす聾唖のサチエ(菊地凛子)は、友だちと出かけたり楽しい時間を過ごしながらも、孤独を感じ、母を亡くした喪失感をどこにもぶつけられないでいた…。

3時間かあ~、気合いを入れないと。と思って見たのですが、
あとどれぐらいかな?と思って時計を見たら、残り15分でしたからね。終わってみると早かったです。
早くはないか、ちょうどイイくらいってことで。それと時間の軸がずれているからわかりづらいと聞いていたけど、それぞれの物語を”線”で見ようとすると”?”だけど、それぞれ独立したものとして見ていても、
最後まで見れば絶対繋がるから大丈夫だと思う。この監督は前2作も同じような作り方してますしね。
そして感想。
「バベルの塔」は、昔世界が一つだった時に”天まで届く塔を作ろう!”と作っていたのを神様が怒って、
言葉が通じないようにしてしまった、という…これぐらいの知識状態で見ました。
言葉はとても大事。何かを発して自分の意思表示をしなければ何も伝わらない、言葉というのは難儀だなあ。
というのは当然ですが、この作品の中では通じ合う言葉でさえも何の意味もなしてないんだなあと感じました。
言葉が通じ合うことで意思疎通ができるのなら、リチャードとスーザンはこの旅に出る必要はなかったはずで、一連の悲劇はなかったはずだもん。
アフメッド・ユセフも、言葉を発すれば自分達の犯した罪(悪気はないけど)を父に伝えることが出来たはず。
それなのに彼らはそれができなかった。これは言葉が問題なのではなくて、彼ら一人一人の心の中の問題なのだと痛感。
伝えようという気持ちがなければ決して伝わらない、その場を何とかうまく取り繕う取り繕うとするリチャードや兄弟の姿がとても脆いものだと感じました。
特に妻が危篤状態でまわりのことを気遣うことが出来なくなったリチャードの姿は心が痛かったですね。
でもそういう小さい姿は彼らだけに限ったことではなくて、人間みんなそうなんですよね。
みんな弱いから、バベルの塔を建てようとする。それに寄ったり、その中に隠れたりして生きようとする。
ひょっとしてバベルの塔は、一人一人の心の中に作られた壁のことではなかろうか?
とすると、塔を作ることを阻止させようと言葉をバラバラにしてしまった神は、ナニモノなのか?
言葉に頼らず、ハートで語れ!ってコトなのか?何か仏教的な感じかなあ。
ま、その辺はおいといて。
結局、心をさらけ出さずしてどんな人ともコミュニケーションをとることはできないってことなのかな。
さらけ出すまででなくても、平穏というか一歩引く気持ちというか。
それはリチャードのことで、自分が(も)悪かったと認めることでスーザンと心を通わすことができた。
そしてユセフは事の重大さを理解して、自分の罪を告白することができた、それには自分の責任をしっかり感じることができる強い心がないとできないし。

メキシコ人のアメリアの話は、後半の展開の急激な悲惨さが衝撃ですね。”なんで~?!”って。本当だったら、何事もなく無事結婚式に出席して帰ることができたはずなのに、なぜ歯車が狂ってしまったの?っていう…。
そこにはやはり、言葉だけでは解決できない心の壁があるんですよね。
心に積もり積もったモノを見ることはできない。
でもすべての事柄に関して感じたことが大なり小なり、人の心には積もっていくんですよね。
特に哀しみとか孤独感とか、マイナス的印象のものは積もりやすい(プラスは積もらないのにね)から、
他人には暴発に見えても、その人の中では必然なんですよね。
サチエの話にしてもそうなんだけど、彼女の場合は鬱蒼感オーラ全開でしたからね。友だちと遊んでいるシーンを見ても何か暗い影があるような、挑発的な雰囲気と寂しげな雰囲気が混ざり合って、何かヘンな感じでした。クラブで遊ぶシーンで途中音がプツッと切れる部分があって、その音がないシーンはサチエの孤独感がちょっとだけ感じられた気がしました。

この監督の作品で私の好きな「アモーレス・ペロス」もそうだと思うのですが、
”この先も人生が続くんだよな~”っていうのを感じさせられました。
希望もみえない、絶望もみえない、ただ道があってそれを進んで行かなくてはならない、みたいな。
その先に何がみえるかは、その進んでいる人の心次第で変わっていくのだけど、例えば、”リチャードとスーザンがその後固い絆で結ばれました”とか、”ヤスジローとサチエは幸せに暮らしました”と、うまくいくかどうかさえ危うくみえるってのが、私はけっこう好きです。
だって、これから先は誰にもわからないし、同じ過ちを繰りかえてしまうのが人間ですし、これを見たから、自分も気をつけようと思ってもなかなか実行できないですしね。
これを映画の中の出来事だと片づけずに、心にしっかり刻もう!
……そう努力しよう。

オススメ度…★★★☆☆
(日本が舞台&菊地凛子さんで過大宣伝・期待の感あり。物語をしっかり感じなければならないと思った。)
ゲームソフト、桃太郎電鉄。
気軽に始められて、気軽に終了できるゲームはないか?と考えていたところにこのゲームが出ていたので、
”コレ、やったことないし。”ということで買ってみました。
買ってからしばらくやってなかったのですが、昨日寝る前にフト”どうせ気軽に止められるんだから。”とやってみたのですが…
残念ながら止めることはできず、半徹夜状態になってしまいました。
ム~、眠い。

それにしても、カードがいくつもあるのですが、そのカードの意味がよく分からなくて、自分の持っているカードなら何のカードなのか調べられるのですが、他の人が持っているのだと、”それどんなカードなの?!”と、
ちょっとイラッとします。
あと、スリの銀地とかいうやつがいて、突然出てきて、お金を4分の1とか半分とか、
ヒドイときには全額持っていかれてしまったりします。これはかなりブルーになりますよ。

しかし、ゲームをやっていると、知らない地名とかが結構あるんだなあと気づきます。
”ココってこれが名産品なんだあ!”とプチ発見したり。”この地名は何と読むか?”とか、
けっこう勉強になるなあ~、とこれで頭を使っているような錯覚に陥る私なのでした。
仕事場にて。
店長の通勤途中に美味しい(といわれているらしい)ウナギ屋さんがあるそうで、
そこは駐車場も広いので、昼時や休日など、外で並んでいる人がいるほどの盛況ぶり。
私にはお気に入りのウナギ屋さんがあるので、そこには行ったことがなく、
”そこって美味しいんですかねえ?”と聞いたら、
”ん~…、そうでもないと思うけどなあ。”と店長。
”あそこ、店員の態度がすごく悪かったから、あんまり良い印象ないんだよね。…ちょっと前の話だけどね。”

その会話を聞いていた店長の奥さんが、呆れたように
”ちょっと前って、もう20年も昔のことじゃない~。”
”あれ?そんな前になるっけ?”
”そんな20年も前のこといまだに根に持ってるなんて執念深いわねー。(笑い)”

コワイコワイ。気をつけよう。
2月にDVDが発売された「マッチポイント」を見ました。

元プロテニスプレイヤーのクリス(ジョナサン・リース・マイヤーズ)は、金持ちのトムと親しくなり、その妹のクロエと結婚する。クロエの親が経営している会社で重要なポストを与えられ、上流社会の一員として優雅に暮らしていた。しかし、トムの元婚約者ノラ(スカーレット・ヨハンソン)に惹かれていた。そして、ついにノラと関係を結んでしまったクリスは、結婚生活と愛人生活の二重生活を続けていく。
といった感じの話です。監督は、ウディ・アレン。

ん~、ウディ・アレンの考え方とか彼の(映画の)趣味とかをよく理解した状態で見れば、もっと奥深くまで楽しめたのかなあ~。
私は彼の作品に思い入れはないし(コメディとか好きな作品はあるけれど)、
あんまり詳しくないので、けっこう退屈でした。(昼ドラか?的な。)
冒頭でクリスが、”テニスの試合でボールがネットに当たって、それが相手コートに落ちれば自分が勝つし、自分のコートに落ちれば自分が負ける。すべては運なのだ。”ということを言うのですが、この”運”が物語の軸になっているのですね。
”運良く”出会ってしまったのか?”運悪く”出会ってしまったのか?
ん~…。
それにしても、「運」って、どーなんでしょうね。
車を運転していて信号がうまく青に繋がって目的ににスムーズに行けた、などという自分の力以外の何かが働いている(ような)時は、単に”ラッキー。”っていうのだけで終わるし、でもそこで事故に遭ってしまったら”運が悪かった…。”ってことになる。
でも、信号を自分の意志で動かすことができないから”運だ”って思えるけど、
選択できる”運”っていうのは、「運」といえるのでしょうか?
結婚相手とか職業とかは、確実に自分に選択権があるから、運というより、「運命」、なるべくしてなったのじゃないかな、と。
まあ、結局は「運」になるのかな。言葉尻が違うだけか?
選択しているつもりが、されている場合もあるしなあ。
ん~、何だかよく分からなくなってきたー…。
(物語を例に出して言うと、見る時面白くなくなっちゃうかもしれないし。)

人間みんな”運”に翻弄されて生きているんですねえ。
生きていれば必ず岐路に立つことが多々ありますからね。
”運に身を任せよう”と考えるか、”自分の運を試してやる”と思うかの違いで、行き着くところは同じなのでしょうか。だって気合いを入れても入れなくても「運」は変わりませんものねえ?
あ~。マジで頭痛くなってきたー。


オススメ度…★★☆☆☆(監督の知識を入れて見た方が良い。)
気を許せる仲間と一緒に見てその後酒を飲みながら、緩く(時に熱く)語り合うってのはいかがでしょうか?
ヤフーニュースで見たのですが、「アイスクリームは実は太りにくい」そうです。
何という朗報!!

以前、料理の本に書いてあったアイスクリームを作ってみよう!と思い、材料等を用意しながら、
ヘーコラヘーコラと作っていたのですが、
”なんと怖ろしい量のグラニュー糖を入れるんだ?!”とワナワナし、
それ以来、あのアイスクリームを食べたときの至福感の裏に隠された甘いワナに騙されないように
細心の注意をはらってきました。
でもアイスクリームって、ホント美味しいですよねー。
ご飯食べた後とかでもアイスクリームなら食べられる、イヤ、むしろ食べたい!っていうぐらいの勢いで…。

今までは我慢していたのですが、これからは食べます。食べまくります。
カラスが”カァ~。”と鳴きました。
すかさず、私も”カァ~。”と鳴きました(もちろん物まね)。

すると夫。
”口が裂けるぞ。”
……オイオイ。何を言ってるのだ?この人は。大丈夫か?
”私、おちょぼ口だから、ちょっとぐらいなら裂けてもらって全然OKだし。…ってゆーか、何で裂けるの?”
”カラスの鳴き真似をカラスの前ですると、口が裂けるの!”
”口が裂けるって…。裂けるわけないじゃん!!”

”それが、オレは2回裂けたんだよ。”
えー!!!ま、ま、まさかー!!!!
”昔、唇が切れた時に、母親が”あんた、カラスの鳴き真似したでしょ”って言われて、確かにしてたんだよ。”
唇かい!!口が裂けるのと唇が裂けるのと大違いだぞ!…まったく。ビックリしたー。
”それで次の時試してみたら、やっぱり裂けたんだよ。それ以来、オレは信じてる。”
なんという純粋さなんだ、キミは!!

それに引き換え、私。
”絶対に唇が切れないようにしてやる!1時間ごとにリップクリーム塗って、唇に潤いを与え続けてやる!”
そして、切れないことを証明した暁には、
”ホラ、やっぱり。”と自慢げに言ってやる、ウシシシ。
と、心の中でほくそ笑んだ私なのでした。
ケンタッキーのクーポン券があったので、使わなにゃ損!ってことで、ケンタッキーへGO!!

お昼ご飯用に買いに行ったのですが、何せ優雅な朝を過ごしたので(単なる朝寝坊)、
朝ご飯を食べていなかったので、私と夫でチキンを6ピースとポテトのLサイズを2つ注文しました。
お持ち帰り用にしてどこか外で食べようということになり、近所のスーパーでジュースを物色、
”何かデザートみたいなの、買う?”
夫は、わらび餅が食いたい、と言ったのですが、わらび餅はなく、
”それならポテトチップスで良いよ。”
ポテチとジュースも買い込んで、出発しました。

しかし私も年をとったもんだなあ~、と実感した今回のケンタッキー。
”ウマイ。”と感じたのは、最初の1個。2個目食べているうちに、何か微妙に気持ち悪くなってきてしまいました。
3個目。夫に”食べる?”と聞いてみると”いらない。”との言葉。
”だったら、夜食べれば良いんじゃないの?”と言われて、ハッと気が付いたことは、
今夜はピラフを作ろうと思い、冷凍してあった鶏の手羽元を解凍してあるんだった!ということ。
”お昼にケンタッキー食べるって言ってたのに、なんで鶏肉料理作ろうと思ったんだろ?大丈夫か?私…。”と自嘲。
結局、3個目を手に取ったことをモーレツに後悔しながら、何とか食べました。
”もうお腹いっぱいー。””この分だと夕飯いらないかも。”

そして、ポテトチップスを買ったことを思い出し、
”あ…ケンタッキーでポテト買ったのに、何でお菓子ポテチ買っちゃったんだろ?”と夫。

このままでは確実にヤバイ…。
夫は、”Wiiは買いたくない。”そうです。
”昔スーパーファミコン持って、セガサターンだっけ?アレも持って、コレも持って、って人がいて、
何なんだよ?!って思ったから、自分がそうはなりたくない。”
今PS2を持っていて、このままだと多分、PS3も買うはず(もっと安くなってから)。
なので、Wiiには手を出したくないそうです。

しかし私は、Wiiスポーツをやりたい。やってみたい。
ちょっとでも体を動かしたい。そして痩せたい。(ってゆーかホントに痩せられるのか?)
ブラックマヨネーズの小杉さんが”おもろい。”って言ってたし。
ついでに言うなら”ONEPIECE”のゲームもやってみたい。
”ファイアーエムブレム”ってのもおもしろそう。
…アレ?ダイエット目的の購入のはずが、つい…。
夫が、”何なんだよ?!”と思った、その通りの人になるところでした。

欲しいなあ。でも、配線がゴチャゴチャするのがイヤなんですよねえ~。
私も夫も、体型が年を経るごとに確実にエライことになっていくことに危機感を感じつつ、
だらけた生活から抜け出させないでいます。
”5月から週に1回でも良いから歩こう!!”
”朝は30分早く起きて、ストレッチをやろう!!”
そう心に決めたはずなのに…。私にはまだ5月はきてません。

夫も、”何とかせねば”と焦っているのか、サウナスーツを買い、
インターネットで近所にあるスポーツジムの料金を調べたりしていました。
”ここは幾らだ、あっちはこんなオプションがある”とか、ナニゲにアピールしていましたが、
”でも、一人分なら良いけど、うちら二人で入るとしたらその倍のお金がかかるからね。”
という一言で、意気消沈。

そこで私はフッと思う。それなら”Wii”を買ったらどうだろう?
Wiiリモコンで、体を動かして、楽しく痩せる(少しずつ)。
1時間歩くのはキツイけど、ゲームなら4時間だってやっていられるんかないか?と思うのです。
今日は、午前中、義父も義母も病院に行くのでということで、夫の実家の留守番をしました。

お昼過ぎ、義姉の小学校2年生の子どもが帰ってきました。
”テストがかえってきたよ。”
”ほ~。…アレ?どっか間違えたの?100点じゃないじゃん。”
と、答案用紙を見てみると。
棒グラフらしきものに関するテスト。
クラスに猫を飼いたい人と犬を飼いたい人とウサギを飼いたい人が何人いるか?それをグラフにしてありました。
最後の問題。「グラフをわかりやすくみるためにはどうしたらいいですか?」
答えは、「5段目に線を引く」(いちいち1,2,3…と数えなくて良いように)
姪っ子の答え。「字をわかりやすくかく」
……………確かに。それはその方がわかりやすいわ……。

この姪っ子のお父さんは、非常に頭の良い人。そのお父さんにうり二つの姪っ子なので、
絶対頭の良さも親譲りのはず!
それが一体いつ開花するのか?今から楽しみなのです。
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